Episode 11
下にスクロールしてお読みください
*コラムは「交通界」様のご厚意で転載させて頂いております
*画像はイメージです
Realizing the Challenge‼
音楽の夜行列車が到着
1987年某月某日、僕はサム・コーポレーションの神戸のスタジオにいた。フランスのFM局制作のラジオ番組の「完パケ作業」(納品できる状態のテープに仕上げる作業)のためだ。
「秋山くん、クレジット入れよか」と、チーフエンジニアが僕に言った。僕は高揚する気持ちを抑えながらマイクスイッチをプッシュした。
「1987年○月○日放送用、サム・コーポレーション制作、『Musique Train Bleu』のテープです」と、僕は万感の思いを込めてクレジットを入れたのだった。
◇ ◇ ◇
FM横浜での特番「European DJ Carnival’87」オンエアが好評だったのを受けて、いよいよレギュラー番組のセールスに動くことになった僕は早速企画書作りに取り掛かった。FM横浜はヨーロッパのFMプログラムのオンエアに前向きだったので、企画書の作成にあたっては「スポンサーを口説く」ことが最大の課題となる。クライアント企業に「こんな番組の冠スポンサーになりたい」と思わせることが出来るかどうか?の勝負になるのだ。
僕の師匠である朝日放送のチーフプロデューサーだった仲川リキュウさんは「説得力のある文章の書き方」を僕に様々な方法で教えてくださった。
リキュウさんは週1回朝日新聞の夕刊にコラムを書いていたのだが、それを僕に「テーマ」として与えて書かせて、それを添削してくれたりもしたのだ。リキュウさんの教えは「一つの文を長くしないこと」とか「敢えて難しい言葉や表現を使わないこと」など多岐にわたったが、何よりも強く指導されたのが「具体的な表現で書くこと。抽象的は表現は避けること」だった。
このリキュウさんの教えは常に僕の中にあって、今も文章を書くときに常に意識していることなのだ。
「グレーの石造りの建物が立ち並ぶ街角、石畳の道路に置かれたカフェのテラス席でカフェ・オ・レを飲んでいると、どこからか素敵なシャンソンが聞こえてくる。そんなフランスの街並みに多くの日本人が憧憬を感じます。日本人に人気の渡航先といえば、やはりハワイが1位なのですが、2位は香港やアメリカ・メインランドを大きく引き離してフランスなのです(昭和61年『観光白書』より)。そんなパリのおしゃれなカフェにいるような感覚で楽しんでいただける音楽番組を企画いたしました」。
これは、パリのFM局からFM横浜向けて発信する音楽番組「Musique TrainBleu」の企画書の書き出しである。日本でまだ誰もやったことのない試みに挑戦しているという高揚感で書き上げた企画書だった。僕は自分の書いた企画書のコピーを毎回リキュウさんに送っていたのだが、この企画書は僕が大阪に戻ったときに朝日放送にリキュウさんを訪ね、読んでもらった。リキュウさんは一読したのち、「うん、いい企画書だ。表現も具体的で分かりやすい。この番組は決まるだろう」と言ってくれた。
この企画書をFM横浜にプレゼンした1週間後、僕はFM横浜の本社スタジオの会議室にいた。僕を呼び出した水野・編成部長はいつものように穏やかな笑顔で言った。
「とても素敵な企画書ですね。是非この番組を実現したいと思います。木曜日の午後9時からの1時間の枠で検討しています。秋山さん、よくここまで頑張ってくださいましたね。ありがとうございます」
僕は会議室のテーブルによじ登って踊り出したくなるくらい嬉しかった。こんなふうに「合格発表」をしてくれた水野部長に心から感謝した。
番組を提供してくれる放送局はパリのモンパルナスにある「95.2FM(カトルヴァン・カーンズ・ドゥ)」という放送局だった。95.2MHzという周波数をそのままフランス語読みした名前の放送局だ。窓口になってくれた技術部長のジョゼ・フレジャンはとてもノリの良いおじさんで、「それ、面白いじゃん。是非やろうぜ」という感じの人だった。
ジョゼのお勧めのDJは、ミッシェル・ブエという女性だったのだが、とても素敵なパリジェンヌだった。ジョゼが彼女を「イチオシ」とした理由が、彼女がジョゼの息子のマーク・フレジャンの婚約者だったと後で知ることになったが、彼女のフランス語DJはとてもシックで魅力的だった。
FM横浜は「アサヒビール」をこの番組のスポンサーとして獲得してくれて、ついに「Musique Train Bleu(ミュージック・トラン・ブルー)」つまり「音楽の夜行列車」はパリから横浜に向けて出発することになった。それからさらに翌年の1988年の夏の特番「European DJ Carnival’88」をFM横浜でオンエアし、さらに南仏コート・ダ・ジュールの「Sunshine Radio」というリゾートFM局からの番組「Wave from Cote d’Azur」をFM横浜でレギュラー番組とすることが出来た。
僕がアメリカから持ち帰ったのKiss-FMを録音したカセットテープ4本から始まったヨーロッパFMへの挑戦がついに実現したのだ。今まで日本になかったものを、一から作り上げることが出来たことは、僕の中に大きな大きな達成感を残してくれた。
Continued
*画像はイメージです
