Entame Theater

Episode 12



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*コラムは「交通界」様のご厚意で転載させて頂いております
*画像はイメージです

The End of One Chapter
そして大丸タクシーへ…

 1988年某月某日、僕はサム・コーポレーションの神戸スタジオにいた。ラジオ番組の「企画会議」に参加するためだ。

 FM横浜の番組が軌道に乗ってきたので、新たな番組のセールを考えなければならなかった。新人スタッフが「サムの強みは、サムを拠点に活動するミュージシャンが何人もいるところです。詩の朗読に、その詩をイメージしたオリジナルの音楽を作ってBGMにする、というような番組って作れないでしょうか?」という提案を出したが、賛同する空気にはならなかった。「それって、面白いのか?」と疑問視する雰囲気だったと思う。
 ただ、僕はその提案から別の企画を思いついた。実は僕は高校の頃から「詩とメルヘン」という雑誌を購読していた。「詩とメルヘン」はサンリオが出版する文芸誌で、読者から投稿された詩に著名なイラストレーターが挿絵を描き、それを掲載するという雑誌で、昨年のNHKの朝ドラで取り上げられた、やなせたかし氏が編集長を務めていた。

 新人の提案は「ラジオ版・詩とメルヘン」という感じの番組になりそうだ。そう考えた僕は「詩とメルヘン」という本について説明し、サンリオというスポンサーにダイレクトにセールスしてはどうか?と提案した。サムのスタッフの中に「詩とメルヘン」を知る人は他にいなかったが、スポンサーに直接プレゼンするという戦略は採用され、早速セールスの準備にかかった。我々は、ラジオ版「詩とメルヘン」の企画書を書き上げ、さらに「詩とメルヘン」に掲載された東君平氏の詩の朗読にオリジナルの音楽を付けたデモテープを作成し、サンリオに送付した。

JR大崎駅から直結のオフィスビルにあるサンリオ本社で我々の応対をしてくれたのは「詩とメルヘン」の企画編集部長だったと思うが、平松義行さんという男性だった。会議室には平松さんの他、詩とメルヘンの編集スタッフが勢揃いしていた。
 我々は、改めて番組の企画趣旨などを説明し、ラジオ番組化することを提案した。サンリオの編集スタッフは企画内容に興味を示しながら、今一つ好意的ではないように感じられた。
 彼らの感じる違和感を平松さんが代表して僕らに質問した。
「あなたは『詩とメルヘン』という雑誌をご存知でしたか?それでこの企画を思いつかれたのですか?」。
 サンリオスタッフがここを気にするだろうことは想像していた。この雑誌は非常に「マニアック」な雑誌であり、広く一般に支持されようとは思っていない。何よりも自分たちが表現しようとする世界をちゃんと理解している人でないと、こんな企画を任せられないと思っているに違いなかった。
 僕は高校時代から購読していたことを話し、それだけじゃなく「実は大学の頃、何度か詩を投稿したこともあるんです」と告白した。

 これを伝えると、会議室の空気がガラッと変わった。僕たちのことを「仲間」と認めてくれた。そんな雰囲気だった。
 それから「詩とメルヘン」のラジオ番組化は順調に進んでいった。

オンエアする放送局は山梨県甲府市に本社を置き、山梨から東京にかけてをサービスエリアとする「FM富士」に決まった。シンガー・ソングライターの沢田聖子さんをパーソナリティに迎え、番組はスタートした。

 ヨーロッパ発のFMラジオ番組のプロジェクトに着手してサムが東京にオフィスを構えてから、短期間に驚くほどの変化があった。放送局の編成部へのプレゼンで実現した「Musique Train Bleu」、スポンサーへのプレゼンで実現した「メルヘン・コレクション」の他、幾つかのラジオ番組を世に送り出した。この間にサムは新宿区余丁町に音楽録音用のスタジオとラジオ収録用のスタジオをオープンした。何もないところから、ここまで2年足らずで駆け抜けた。
 4本のカセットテープから始まった一連の出来事が一つの「完結」を迎えた気がした。

 大丸タクシーの専務を務める父親から「大阪に戻って社業に就くように」という圧力が以前からあったのだが、僕はこのままラジオの仕事をしたいと思って、返事を保留してきた。
 しかし、ここへ来てサムの鈴木政男社長からロンドン転勤の打診があった。ロンドンのレコーディングスタジオを買収したので、そこの駐在員として赴任して欲しいということだったのだが、これには違和感を感じざるを得なかった。

 クリエイティブの仕事に就きたい、「自分の番組」と言えるものを作りたいという思いから、この世界に身を置き、それを「やり切った」という実感があったから、僕はサムを辞める決断が出来たのだと思う。「サムを辞めるなら、今しかない」そう考えて、鈴木さんにも率直に伝え、僕は1988年12月31日をもってサムを退職した。そして、「平成の明け初め」に大阪に戻った。
 大学卒業以来、クリエイティブの世界で仕事をしてきた僕が、タクシー業界を渡っていけるのか...。

 胸一杯の不安を抱えて大丸タクシーに入社したのだった。

Episode1に続く

*画像はイメージです

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