Episode 04
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*コラムは「交通界」様のご厚意で転載させて頂いております
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Time Waits For No One
忘れ得ぬ濃密な1カ月
演劇公演のプロデュースを手掛けたことによって、僕に新たな道が拓けることになった。学生企画サークルの活動をしていると、いわゆる「業界」仕事をしている得体の知れない大人たちが存在することに気づくのだが、その中の一人が僕に「君の将来にとってプラスになる人を紹介してあげるから、一緒に来ないか?」と声をかけて来た。実に胡散臭い話だったが、知らない人ではなかったし、僕なんかを騙したところで一銭の儲けにもならないだろうと思ったのでついて行くことにした。
「贋作・タクシードライバー」の公演を目前に控えた1983年12月初旬、その人が僕を連れて行った先は、在阪の朝日放送の本社だった。その第二会議室に連れて行かれたのだが、中に入るとどうやらお芝居の稽古をしているようだった。
「仲川先生、彼が秋山くんです」
稽古が休憩に入るのを待って、僕が紹介された人はそのお芝居の演出をしている50歳くらいの男性だった。いただいた名刺を見ると「朝日放送株式会社 テレビ編成局 番組企画部チーフプロデューサー 仲川利久」とあった。いかにも「偉い人」という感じの肩書きだったし、そういう貫禄というか「オーラ」を持った人だった。仲川さんは「必殺シリーズ」の生みの親として知られる、数々の作品を世に送り出したプロデューサーだったのだが、社外の文化活動としてオペレッタやミュージカルの演出などもされていて、僕が訪ねたときにやっていたのは、12月の後半に大阪の「森ノ宮ピロティホール」で開演される予定の「エンマ大王の大忘年会」というオペレッタのリハーサルだったのだ。
この舞台活動は実は仲川さんが私的に行っているもので、舞台を構成する「舞台装置」「照明」「音響」などはプロの手によるものだったが、演出助手兼舞台監督を務めていたのは、仲川さんに師事する大学生だった。
その伊藤くんという学生は大学4回生で、翌年3月には卒業して就職してしまうので、仲川さんの舞台スタッフを務めるのは今回の公演が最後ということらしく、どうやら僕はその後任候補ということらしい。「ちょっと待ってよ。そんな話なら事前に言っといてよ」と、僕は猛烈に焦った。演出助手とか舞台監督など、もちろんやったことないし、そもそも何をやったらいいのか、さっぱり分からない。戸惑う僕に仲川さんは「よろしく頼むよ」と右手を差し出した。これは迂闊に握手できる相手ではない。
「あの…僕は舞台のスタッフとか演出助手とか、全く経験がないんです」と、「僕には無理だと思います」という気持ちを込めて先生に言った。すると先生は何とも言えない柔和な笑みを浮かべてこう言ったのだ。
「君が経験を積むのを待っていたら、君がおじいさんになるまで待たなければいけないじゃないか。これを通じて経験を積みなさい」。仲川さんの真意は知る由もないが、僕は後にも先にもこれほどシビれるセリフを聞いたことがなかった。僕は「ありがとうございます」と言って、仲川さんの差し出した手を握った。
このオペレッタを上演するのは「ラディッシュ・プロジェクト」というグループだった。舞台芸術を構成する要素は「音楽(歌)」と「ダンス」と「演技」だが、役者に対して「唄え!」「踊れ!」と指導したところで高いパフォーマンスは期待できない。それよりも、それぞれの「その道のプロ」を招いて舞台を作り上げよう、というのが仲川さんの発想だったようだ。ラディッシュ・プロジェクトには仲川さんに招集された関西で活動するオペラ歌手やジャズダンスやバレエのダンサー、そして役者たちが公演ごとに集まってくるのだ。音響・照明・舞台装置という舞台スタッフも関西の「超一流」が集まっていたのは、仲川さんの仕事繋がりなのだろう。僕はこの「エンマ大王の大忘年会」で「その道のプロ」たちと一緒に舞台監督補としてピロティホールの舞台袖に立った。
出演者もそうだが、プロ中のプロである舞台スタッフが全て舞台監督の指示で舞台を動かすわけで、「一発本番」の猛烈な緊張感を一度味わったら、その快感を忘れられないのだと知った。舞台にかかわる人は、こうやって舞台の沼にハマっていくのだろう。
徳田興人さんと仲川利久さんは共に舞台演出家だが、その表現方法は全く違う。役者の表現力にフォーカスし、それ以外の要素を極力シンプルに構成する「小劇場型演劇」と、プロセニアムアーチの中にファンタジーの世界を作り上げ、芝居も音楽もダンスも、舞台装置も音響も照明も、表現のエッセンスとしてバランスをとる「大劇場型演劇」の違いと言うべきだろうか。もちろん後者の方が予算規模は大きくなるが、小劇場演劇でも大劇場型に劣らない作品を作ることが出来るのだ。つまり、良い作品を生み出すために必要なことは資力や規模ではないということを実感した。この年の12月はなんとも濃密な経験をした忘れ難いひと月だったのだ。
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