Episode 18
運輸行政のブレ幅を問う
旅客の安全という「大儀」
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*コラムは「交通界」様のご厚意で転載させて頂いております
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大丸タクシーは昭和25年にタクシーの事業認可を受けてタクシー事業者になった。今年で事業認可を受けてから76年が経過したわけだが、その間当社はずっと近畿運輸局から認可事業者としてのあるべき姿について様々な「教育」を受けてきたのだ。その「教え」に反した事案が発生すると、場合によっては運輸局は事業者に監査に入り、不法行為や不適切な管理を指摘して行政罰を下す。
大丸タクシーも恥ずかしい話だが、幾度となく行政罰を受ける羽目になったことがある。
大丸タクシーでは、ドライバーへの指導教育については、独自の考え方を持っており、法律で求められる「個別対面点呼」だけでなく、朝礼も行っている。
ドライバーに伝えたい注意事項を紙に書いて読ませるのではなく、朝礼を行って「話して聞かせる」ことが効果的と考えているからだ。
その中で「道路交通法」や「道路運送法」に関する法令遵守について、さらにはタクシーの接客のあり方について、さらに健康維持や体調管理についてなど、多面的・多角的に話をし、ドライバーに理解を深めてもらえるよう試行錯誤を繰り返している。
もちろん、その指導教育の記録はかなりのボリュームのあるものになっており、交通安全運動の際に査察に来られる運輸支局長も、監査に来られる専門官も当社の取り組みに一定の評価をしてくださっているようだ。
しかし、例えばドライバーが「乗車拒否事案」を発生させたとしよう。当然、その事案を端緒とする監査が実施され、ドライバーに対する指導教育が適正に行われているかどうかを厳しくチェックされる。指導記録が十分に揃っていたとしても、その指導をドライバーがちゃんと受けていたことを示す資料があったとしても、「乗務員への指導監督が充分でなかった」と言う理由で行政罰を喰らうことになるのだ。
「我々はドライバーへの指導教育を怠っていない」
と反論しても、「いや、大丸さんが十分に指導していることは分かっていますよ。しかし、結果がこうである限り仕方ありません」となる。
我々がどれだけ熱心に指導しようが、一人の不心得者がいると、数十人の無辜(むこ)が仕事の機会を奪われてしまうのだ。このようなとき、我々は何とも言えない無力感に苛まれる。
乗車拒否については、ドライバーへの処分は決して重くない。我々が「許しがたい」と思うような悪質な事案であったとしても、「タクシー運転者等の違法行為に対する措置要項」に照らして「1ヶ月の乗務員資格の停止」に留まるらしい。
この会社に対する処罰とドライバーに対する処罰のバランスの悪さは一体何なんだろう?
運輸局の担当者に聞いても「法律に従っての処分ですから、仕方ありません」と言うのだ。
なるほど、運輸局の役人とは言え、法律の運用を勝手に決めることは許されないのだろうし、法律そのものを変えることだって、そう簡単なことではない。「不適切とみんなが思うなら、法律を変えればいいじゃないか!」と思うのだが、それは素人考えということになるのだろう。
そもそも我々が運輸局から何十年もの間に受けてきた教育とは、「タクシーは『公共交通機関』であり、旅客の安全輸送について責任を負っている。だから、タクシー事業者は安全運行を担保するために、乗務員の健康状態を常に把握して、万が一にも健康起因事故などを起こすことのないよう、万全を期さなければならない」と言うような内容だ。
だからこそ、運行管理者はそのドライバーの生活習慣にも関心を持ち、そのドライバーが前回の乗務の後から今回の乗務の前までどのように過ごしてきたのか?まで関心を持たなければならない。
昨年開催された万博を前に、「ライドシェア」のようなものが取り沙汰された。運輸行政から教育を受け続けてきた我々にとって「あり得ないこと」だと感じたが、この事案に対する運輸行政の対応は、これまで行ってきた「教育」と矛盾してはいないのだろうか?
監督官庁はブレてはいけないと思う。
旅客の安全が最優先という「大義」を崩すようなことはあってはならない。
世の中の技術革新があり、人の考え方も変わっていく。それに抗うのは限界があるのかも知れないが、それでもブレてはいけない部分は絶対にある。
僕がタクシー業界に入って38年なのだが、その間運輸行政はブレまくってはいないか?
それでもその「ブレ幅」は「大義」を守る範囲内のものであって欲しい。
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