Episode 08
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*コラムは「交通界」様のご厚意で転載させて頂いております
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The Sound of Freedom
1984 人生を変えた4本のテープ
1984年春、「西部警察PART―Ⅲ」の関西ロケが終了し、僕は大学4年生になった。師匠である朝日放送テレビ編成局チーフプロデューサーの仲川利久(リキュウ)さんのミュージカルの舞台監督も続けていたのだが、当然のことながら「就職活動」もしなければいけなかった。
とは言え、もはや僕には「クリエイティブ職に就くこと」以外の選択肢などあり得なかったので、放送局と制作会社くらいにしかエントリーしなかった。そもそも「狭き門」であることは承知していたし、国公立大とか「関関同立」ですらない大学だったし、現実は非常に厳しく、学生時代の「実績」など、全く評価の対象にはならないのだ。
結局僕は就職活動に失敗し、「就職浪人」になることが決定的となったのだが、リキュウさんの仕事を通じて知り合った「業界人」の方たちから「秋山くん、どこにも行くところがなかったら、ウチにおいでよ」と声を掛けてもらっていたこともあって、「なんとかなる」と思っていた部分もあったのだ。
そんなとき、父は僕に「アメリカ留学」を持ちかけた。大丸タクシーの現社長である僕の従兄も、大学卒業後1年間イギリスに留学していたこともあって、僕にも勧めたのかも知れない。僕はその提案に乗ることにした。大学の卒業式当日、僕は式に出席せずにアメリカに渡った。4月からカリフォルニア大学リバーサイド校の留学生向けのエクステンションコースで学ぶことになったからだ。
アメリカでは実に様々な経験をすることになるのだが、僕が最も大きな衝撃を受けたものがあった。それは「ラジオ」だった。カリフォルニア州の都市リバーサイドはロスアンゼルスから東へ約100キロ東にある「大都市近郊の衛星都市」だ。1年を通じて温暖な気候で、夏場など気温が100°F(約38℃)を超えることも多いが、乾燥しているせいであまり苦にならない。僕はここで大学の寮で生活となったわけだが、
寮の食堂などで流れている音楽は全て現地のFMラジオの放送だった。その放送が日本のラジオ放送と全く違ったのだ。
日本の民放FM局は1970年ごろに開局したFM東京、FM大阪、FM愛知、FM福岡の4局しかなかった。1980年代に入ってさらに15局が開局したが、「二つの民放FM局の放送を聴くことが出来る」都市は一つもなかったのだ。それも、この全てがFM東京のネットワーク下にあり、FM東京の編成通りに番組を放送し、その中にローカル局のオリジナル番組を挿入するというやり方で、全国で画一的な放送をしていたと言える。
もちろんFM放送は音楽番組が主体となるのだが、日本のFM局ではリスナーが「エアチェック」をする前提で放送することが多く、曲の紹介から曲のスタートの間に2秒弱の空白をわざと作ることが多い。つまり、レコードやCDを聴く延長線上にラジオ放送があるという感じの放送が多かったのだ。
ところが、アメリカはとにかく放送局の数がやたらに多いのだ。リバーサイドのような大都市近郊エリアでは、民放のFM局が50局くらい存在する。それも「ハードロック専門局」とか「ジャズ専門局」「クラシック専門局」など特定の音楽ジャンルのみを放送するという局も存在するし、地勢的な事情からだと思うが「ヒスパニック系」と言われるスペイン語放送のFM局まであった。
こんなにも多局化した状況で、各放送局は採算が取れるのか?と心配になるが、そもそも設備から人件費から全くお金を掛けていない。日本のようにスタジオブースにパーソナリティがいて、コントロールルームにディレクターがいてエンジニアがいて、などという体勢で放送しているわけではない。ほどんどの放送局がDJがワンマンで放送しているような感じだ。
なんと言っても「凄い」と感じたのは、その放送のスタイルだ。音楽をクロスフェードさせて次々と繋いでいく。曲のアウトロとイントロをクロスさせ、DJのトークは、ヴォーカルが入る直前でピタッと終わる。今でこそ、日本でも当たり前になったスタイルだが、当時の僕には衝撃的だった。そもそも「番組」という概念そのものが希薄で、「何時頃から何時頃まではDJのリックが担当」くらいの大雑把さで放送している。ヒット曲が次々とテンポ良く流れる放送スタイルは、まるで「放送全体が一つの音楽になっている」という感じで、これは今までにない経験だったのだ。
音楽には「聴き方」が様々あるが、例えば「CDを聴く」とか、「コンサートに行く」という聴き方とは全く違う、「ラジオを聴く」という「音楽の聴き方」があるのだ。リスナーに聴く曲を選ばせず「ラジオ放送」というジャンルの音楽を聴かせるものなのだと思った。ラジオって、こんなに自由で楽しいものなのか!僕は4本のカセットテープに最も人気のあったFM局「KIIS―FM」(キスFMと呼ばれていた)の放送を録音して日本に持ち帰った。この4本のテープが僕の人生を大きく変えることになるのだった。
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