幸せのお裾分け
第三話 あなたもですか
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*登場する人物・団体名は一部て架空です
1
同じ日の初秋の夕方。大阪の街を大丸タクシーは走る。だいぶ陽も傾いてきて、本町通りのビルたちに、オレンジ色の装飾を施している。車内には、そろそろ西陽が射し込んくる時間帯だ。乗務員のDJは、本町駅近くからご乗車頂いたスーツ姿の三十代後半に見受けられる男性のお客様を送迎中だ。
DJは、グランフロント大阪に向けて、営業車を走らせている。グランフロントとは、昔はJR貨物の梅田駅があった広大な敷地跡にできた商業施設だ。大阪の北の玄関口を象徴するビル群を指す。大阪では珍しく、ビル群の中のグリーンが占める面積は広い。緑の少ないと言われる大阪の都心部でも、緑の多いグラングリーンの存在は大きい。グランフロント以来、大阪駅周辺は様変わりした。グランフロント周辺は、今では「うめきた」と呼ばれている。
2
うめきたにつながる大阪の大動脈のひとつである四ツ橋。土佐堀川の手前の肥後橋で短い渋滞に捕まった。この時間では、よくあることだ。信号待ちしていると、後部座席の男性客はウキウキした声で話しかけてきた。
「運転手さん、今日、十年目の結婚記念日なんだ」
「それは、おめでとうございます」DJは少しテンションを上げて応える。
「それでね、今からプレゼント探しに行くんですけど、何がいいと思います?とりあえずグランフロント辺りまでいけば、色んなお店があるから見てから決めようと思ってたんですけどね。何かいいアイデアありませんか」
DJは、思わず結婚記念日というキーワードに「あなたもですか!?」と、口から出そうになるのを何とかこらえた。つい数時間前に、結婚記念日の絵画を買った女性を乗せたばかりだった。こんな偶然もあるんだなぁと思った。この時期は結婚式シーズンなのかも知れない。
「そうですね、結婚記念日のプレゼントでしたら、アクセサリーとかが無難じゃないですか?」
男性客は物足りない表情をした。もっと違う角度の返事を期待していたようだ。
「運転手さん、やっぱ、そうですよね。会社で聞いて回っても、同じような答えなんですよ」
「そうですよね。無難ですけどねぇ」DJは、この男性のお客様が、無難な応えを求めていなかったんだと理解したので、頭をフル回転させて別の答えを考えている。
「無難過ぎて、アイデアを感じてもらえない気がして。十年目の結婚記念日だから少しでも感動を伝えたいんだよね」
「十年目の節目ですものね……」と、応えながら、それなら、なんで当日に探すんだ?と思っているが、もちろん口に出さない。何かいい返事をしたいが、かと言って男性客のことを詳しく知っている訳でもない。どう返答しようか迷っていた。
「そうなんですよ。節目なんで、何か想い出に残る物がいいと考えているんですが」と、男性客は空を見ながら言った。
「なんでしたら、額縁なんてのは、如何です?」DJは咄嗟に応えてしまった。
なんとなく、口からこぼれ出たセリフに、DJ自身も焦った。適当に勢いでしゃべったことに後悔した。なんでそんなことを言ったのか。そうか、昼間の女性客との会話が、頭の片隅に残っていたのだ。しかも、絵画ではなくて額縁だなんて、いくらなんでも突飛すぎるだろう。口に出た言葉をどうフォローしていいか逡巡していた。
男性客は、DJの逡巡もお構いなしに、何のためらいもなく応じた。
「額縁かぁ……ない話ではないな。最近、妻が画を飾りたいって言ってたからなぁ」
DJは、男性客との話の意外な展開に驚いた。
「ほほう、そうなんですね」内心、適当に口から出たセリフが、上手く刺さった事に安堵した。
「しかし、額縁だけってのもどうかなぁ。」男性は少し考えて続けた。
DJは、そりゃそうだよな。と思っている。額縁だけを渡して、ここから見える風景は君のものだ!なんて言っても、白けた結婚記念日になるだけだ。すると、考えを巡らせ終えた男性客が言った。
「やっぱり、額縁だけってアリですね。僕は絵画のセンスがないんで、妻が気に入る絵画を選ぶ自信がないんですよ」
「絵画は、その方への印象が大切ですからね」
「額縁だけなら、当たり外れなさそうだし」男性客は、腑に落ちたように嬉々とした。
「まぁ、確かに」DJは、会話の落としどころに安心している。
「これから二人で、中に入れる絵画を探しに行けばいいんだもの。妻と選んだら間違いないだろう」
「お客様、前向きですね。では、グランフロントにもいい画廊がありますよ」DJは、他のお客様から得た知識を披露した。
「そうですか。では、グランフロントで探します」
DJは、いくつか画廊店を知っていて良かったとつくづく思った。たまたま、告げられた行先のグランフロントにも画廊があったのは嬉しい偶然だった。本心は、梅田から少し離れたこだわりの画廊を紹介しようかと思っていたが、そこは、額縁の品揃えが悪いことを思い出した。
営業車は初秋の夕陽を浴びながら、四ツ橋筋を北へ向かって静かに走っている。グランフロントは、もう直ぐそこだ。
このあと、DJの勢いで言った言葉通りに、男性客が額縁を購入するか、別の物を購入するかなんて、DJは知る由もない……。