Entame Theater

小説

転職物語

第6話

私がタクシー会社を選んだ物語(わけ)

~藍夏(あいか)の場合~

In Aika's case

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*登場する人物・団体名の一部は架空です

第1幕

大阪市の都心部から少し離れたレストラン。
駅からは遠いのだが、幹線道路に面した交差点の角にある便利なレストランだ。
大阪市内の中でも、駐車場は広めにとってある方だ。
その日は夕方から雨が降り始め、今では本降り状態になっていた。
藍夏(あいか)は、テーブルの食器を片付けながら、駐車場に見覚えのあるタクシーが入ってくるのに気づいた。
以前からよく来る常連客の一人で女性のタクシー運転手だ。名前は知らないが、顔は覚えている。
朱色の正円に大の字のロゴマークの大丸タクシーは、店内への扉に近いところに停まった。

藍夏はすぐに、いつもと違う様子に気が付いた。
その女性運転手は、いつもは一人で入店して遅い昼食を摂るのだが、今日は二人であった。もう一人の女性は、ずぶ濡れである。
運転手とずぶ濡れの女性を席に案内すると、藍夏はパントリーからタオルを数枚持ってきて「お使いください」と言った。
大丸タクシー乗務員の野々上(ののうえ)は丁寧にお礼を言った。
二人の女性客は、紅茶とパンケーキを注文した。
ずぶ濡れの女性に、何か大変な事があったのは察しがついた。

第2幕

藍夏は大学四年生。来年の春卒業で、既に就職先も決まっている。
このレストランで、二年ほど前からバイトしている。
今日のバイトを終え、従業員専用の駐車場に停めてあるハイエースに乗り込んだ。
ハイエースの荷室には、趣味の道具でいっぱいだった。
藍夏は、SUP(スタンド・アップ・パドルボーディング)を趣味にしているアクティブな女性だ。
ボードはインフレータブル式で、現地で電動ポンプで膨らませるので、思ったほどかさばらないが、パドルや付随する道具やキャンプ道具でいっぱいだった。
SUPの好きなところは、海でも川でも湖でも、どこでもできる。
のんびり漂うことも、波に乗って激しく進むこともできる。
穏やかな流れの時には、SUPボードから、シュノーケリングもできる。
何だったら釣りもできる。そんな『自由さ』がとても好きだった。
なので、荷室には、あらゆる道具が押し込まれているのだ。

明日は、大学もバイトもない。天気予報も快晴を告げている。
藍夏は夜の街を一路、海へとハイエースを走らせていた。
未明には、お気に入りの浜辺へ到着できる。車中で仮眠して、一日中SUPを満喫する。季節外れの浜辺は、人影も少ない。浜辺の全てを独り占め出来るのである。
ワクワクしながらハンドルを握っている。

第3幕

とある日のバイト中。
藍夏に、レストランの先輩女性が小声で話しかけてきた。
「6番のテーブルに営業風のお客さんがいるでしょ」
6番のテーブルには、二名のお客さんが座って食事が運ばれてくるのを待っている。一人は男性で三十代半ばで、おそらく上司。もう一人は二十代前半の女性で、おそらく部下であろう。
昼食がてら打ち合わせをしている様子である。
よくある店内の光景に、藍夏は
「あの二人がどうかしましたか?」と聞き返す。
先輩女性は
「上司っぽいのは、入店してから今まで、一度も席を立たないのよ」
この店は、水やソフトドリンク、ランチのスープ、サラダは、セルフサービスになっている。必ず、注文したら席を立つことになるシステムだ。
先輩女性は続けて
「パワハラよ、パワハラ。さっきから、全部、部下らしい女の人がしてるの。テーブルとバーを何度も往復してるの。セルフサービスよ、うちは」
確かに、夫婦でもなさそうな雰囲気、普通の上司と部下の関係だろうけど、セルフサービスなんだから自分でやれば良いと、先輩女性は思うのだった。
先輩女性はかなり怒りながら
「いくら上司って言ってもね。女は身の回りの世話をする役目って決めつけてるのが腹ただしいわ。あんたも就職先はよく考えて決めなさいよ。こんな男がいる会社では、女は苦労ばっかりで出世できないわ。男女の差のない会社に行きなさいよ」
藍夏もその通りだと納得した。

第4幕

藍夏は、先輩女性の言っていた『男女の差のない会社』というフレーズが心に残っていた。藍夏の今までの人生では、男女の差のない場面ばかりだったのだ。
世間では、男女の差があって当然なんだと、しみじみと思った。

藍夏の生家は、徳島の海からほど近い山中で、祖父から続く藍染めを家業として営んでいる。
生業としている藍染めには男女の差がない。性別関係なく、誰でも職人になれる。実際に藍夏の母は三代目の職人だ。父は、徳島で公務員をしている。
藍夏には、二人の姉がいる。
一番上の姉の藍美(あいみ)は大阪でOLとして働いている。その藍美の家に、現在藍夏は居候している。
二番目の姉の藍衣(あい)は、家業の四代目を継ぐことが決まっていて、母の下で修行を重ねている。

徳島は海が広くマリンスポーツが盛んである。
シーズンには県内外から多くの人がやって来る。
藍夏は、小学生の頃からマリンスポーツに興じていた。その中でもSUPは男女の差はない。SUPは、非力な自分でも、男子と同じように楽しめるのも魅力の一つだと思っている。

徳島での藍夏の生活の中では、藍染業においても、趣味のマリンスポーツにおいても、男女の差を感じたことも、考えたこともなかった。
だから余計に、バイト先で先輩女性がしみじみと言った一言が、心に残っているのかもしれない。

第5幕

今日も藍夏は海岸に来ていた。遠方の海岸まで行く時間がなかったので、西宮の海岸だ。
SUPの道具をハイエースに積み込み、ハイエースのエンジンをかけようとしたら、一台の黒いタクシーが海に向かって停まっているのに気が付いた。
タクシーからは、昔に流行ったであろうロックが流れている。女性の運転手は、ガードレールにもたれかけて、夕陽を眺めている。
藍夏も、エンジンをかけるのをやめて夕陽に見入っていた。
ふと女性運転手が振り返った時に、藍夏と目が合った。
「こんにちは」
女性運転手が声を掛けてきた。
藍夏も笑顔で
「こんにちは、きれいな夕陽ですね」
「そうね。もう何十年も変わらないわ」
女性運転手が、ある程度の熟年層であることに気が付いた。
「何十年もここに来られてるんですか」
「思い出の場所なのよ」
「良い思い出ですか?」
「良い事も悪い事もよ」
と熟年の女性運転手は笑った。
藍夏もつられてほほ笑んだ。
熟年女性運転手は続けた。
「学生の頃、バンドやっててね。この近くに音楽の練習スタジオがあるのよ。その帰りに、いつもここで反省会や次のライブの打ち合わせとかしててね」
「バンドしてらっしゃったんですか。カッコイイですね」
「あら、ありがとう。でもSUPをこれだけ乗りこなすあなたには負けるわ」
「あら、みてらっしゃったんですか」

熟年女性乗務員の立川奈緒美は、以前からの知り合いかのように藍夏に話し始めていた。立川は、最初に自己紹介をした。自己紹介することで、初対面の二人の距離が一段と縮まった気がした。
立川は話し好きで、話し上手だった。
立川の話によると、彼女は二十代の頃から、タクシーの乗務員をしているそうだ。
OL勤めしている時に、バンドの友人と揉めて、人と関わり合うことが煩わしくなったそうだ。それで一人で出来る仕事はないかと探していたら、タクシー乗務員の募集広告を見て、これなら気楽に一人で仕事ができると考え転職したのだった。
立川は
「やってみて感じたんだけど、男も女も関係なく働ける仕事なのよ、タクシー業界って」
「そうなんですか」
「女でも男並みに稼げる仕事よ」
初めて知り合った人生の先輩から、初めて聞くタクシー業界の話に、少しカルチャーショックを覚えた。

第6幕

藍夏は大学を卒業して就職していた。
ずっと身近にあって好きだった「海」に関わる仕事がしたくて和歌山のマリンレジャー会社に就職した。
「マリンレジャーを通じて若者の育成を図り、地元地域を盛り上げていく」というコンセプトに賛同し、是非働きたいと希望したのだ。
企業は、マリンレジャーの講習会や観光船の運行を主軸に、マリンレジャーの旅行企画も手がけている中小企業だ。
大阪の長女の藍美の家を出て、和歌山にある会社の寮に入った。
寮は西海岸に面していて、夕陽がとても美しかった。波の音も聞こえる寮の部屋は、一目で気に入った。

入社してしばらくすると、会社の中が見え始めてきた。
入社してみないと分からない本当の社風、パワーバランス、経営者の方針、社内外に対するコンプライアンスの重要度などを肌で感じ始めてゆく。

入社した企業は、今の時代に、まだ昭和を継続しているような雰囲気があった。
男尊女卑の意識が根強い社風であり、いまだにハラスメントが横行している。それは、「人命を扱う業務だから厳しさを前面に押し出しているんだ」と上司が言うが、経営層からの板挟み状態の上司の立場の鬱憤を、部下に向かって晴らしているようにしか見えない。
パワハラ、セクハラは昔ほどは減ったと先輩女子社員が言うが、今までそんな状況に置かれたことのない藍夏にとっては、これでも苦痛以外の何物でもなかった。
地元取引先の大手企業や政治家への接待も必ず女子社員を同行させた。
夜の残業はまるでホステスかのような業務に変わる。
極めつけは、経営層には、観光船の安全整備への危機意識の低さがある。整備や設備投資する予算はほとんどない。安全管理体制も全く出来ていない。 地方の中小企業なので、監督官庁の眼も届きにくいのもあってか、安全管理に対するコンプライアンスは整っていない。観光船の運行や整備に対する、インシデント程度なら、上層部によって、もみ消されてしまうのである。
マリンレジャー好きな藍夏は、マリンレジャーの危険性も十分承知している。
なのでそこが、とてつもなく許せなかった。
(海で働かせてもらっている企業のなのに、海の危険性を安易に考えている)
そう大声で叫びたい怒りを抑えながら、入社4週間目には、退職代行の会社に連絡していた。

第7幕

和歌山の会社を辞めて、地元の徳島に帰ろうかと悩んでいたが、とりあえずは、姉の藍美の家に転がり込んだ。
しかしこのまま、居候を決め込むのは気がひける。何か、仕事を探さないといけない。
藍夏はパソコンで新しい就職先を探しながら、思い出していた。
レストランでバイト時代に先輩女性に諭されたこと。
西宮の浜辺でタクシー乗務員の立川奈緒美が言ってたこと。
『男女の差のない会社』を探そう。

アクティブな藍夏は、色んな業種の企業をピックアップして一通り話を聞こうと決めた。リクルート用の文章だけでは分からない。企業のホームページからも伝わりにくいような、その企業の持つ社風を肌で感じることが大切だと、つくづく考えるようになった。
「そうだ。私、風を読むのが得意だったんだ」藍夏が呟く。

世間の波の上で、風を読みSUPボードを操る藍夏が泳ぎだした。

第8幕

専務の秋山は、面接をしていた。
いつもの会議室である。
秋山が感嘆して藍夏の言葉を継いだ。
「『ジェンダーフリーな仕事』ですか…。タクシー乗務員は確かにそう言えますね」
「今までの私の人生においては『男女の差』のない環境でした。でも、最初に就職した会社が真逆で、耐えられなかったんです。それで、ジェンダーフリーの仕事を探してると御社に辿り着いたんです」
「なるほど」
秋山は藍夏の履歴書を見ながら答えた。

第9幕

それからしばらくして大丸タクシーの車庫に藍夏の姿があった。
藍夏は、点呼前の時間を他の乗務員と過ごすのが好きだった。
今日は、ベテラン先輩乗務員の前田と話し込んでいる。

藍夏は、自分たち女子乗務員の7人が、事務所の人たちから『レインボーセブン』って呼ばれていると、恥ずかし気もなく言った。
「レインボーセブン?なんやそれ?」前田は聞き返す。
「前田さん、虹の色全部言えます?」
「当たり前やん。ええか言うで、『セキトウオウリョクセイランシ』やないか」
「そうです。そうです。赤・橙・黄・緑・青・藍・紫です」
「それが、なんであんた達なんや?」
藍夏は、ワクワクしながら説明する。
「赤は赤井朱美(あけみ)さん
 橙は、橙花(とうか)さん
 黄は、紗黄(さき)さん
 緑は、緑音(みお)さん
 青は、葵(あおい)さん
 藍は、私、藍夏でしょ
 紫は野々上(ののうえ)さん」
「野々上さんが何で紫なんや?」
「あれ?知りませんでした?野々上さん下の名前が『紫月(しずき)』って言うんですよ」
「そうかいな。ほんで七色でレインボーセブンか。よう出来た話や」
「なんかカッコイイでしょ」
「グループ名なんか付けてもろて、レコードでも出すんかいな」前田が冗談半分で尋ねた。
「レコードって、いつの時代ですか!」藍夏がツッコミを入れた。

今日も大丸タクシーは、和気あいあいとした空気の中、朝の点呼が始まる。

終幕



*背景に使用している画像は生成AIで作成しています