Entame Theater

小説

転職物語

第2話

私がタクシー会社を選んだ物語(わけ)

~橙花(とうか)の場合~

In Touka's case

下にスクロールしてお読みください

*登場する人物・団体名の一部は架空です

第1幕

大阪の南森町からほど近い大川沿いの公園。
遠く琵琶湖から大津、京都を経て淀川は大阪湾に流れ込む。その淀川の支流である大川は、いつでも流れが豊かである。
天満の辺りは、ゆったりとした川を眺められる公園が広がる。この公園は春になると桜が咲き誇り、行き交う人々の足を止めさせる。

公園沿いの道路に軽自動車を停めて、コンビニ弁当をかきこむ女性ドライバー橙花(とうか)がいた。
橙花は配送の仕事をしている。各家庭に食材を届ける仕事だ。持ち前の人当たりの良さ、愛想の良さは抜群で、ユーザーからは慕われている。
配達に行くと、玄関先で世間話を展開することもしばしばである。
車の運転も16歳から乗っているだけあって慣れたものだ。

しかし橙花は仕事中も何か物足りなさを感じ、今も車の中で溜息をついている。
(本当に、この仕事が私に向いているかな……?)
自問自答をいつも繰り返している。
以前の勤め先では方針や考え方が合わなくてあっさり辞め、いくつかのアルバイトを経て今の配送の仕事についていた。
(以前の会社は、確かに合わないけど、仕事は充実して楽しかったな……)

第2幕

橙花は、生後から高校生までハワイで過ごした帰国子女である。
父親はハワイ生まれの日系人、母親は日本人である。父と母の想い出の花であるハイビスカスが名前の由来だ。
ハイビスカスにはいろんな色があり、花言葉は「上品な美」「新しい恋」などあるが、父と母の思い出のハイビスカスの色はオレンジだ。花言葉は「繊細な美しさ」である。一日花であるハイビスカスの儚い美しさから意味付けされている。
花開く一日のために、一年努力できる子になればと、願いを込められた。 名は体を表す通りに育ち、橙花は努力家である。しかも、ハワイ育ちもあり明るく、人懐っこい性格だ。

父親の仕事の都合でハワイから日本に来てからは、大阪の大学を出てイベント会社に就職した。
内外のアーティストとイベントを企画・運営するプロモーターの仕事だ。
生まれ持った明るさと人懐っこさは、日本のアーティストはもちろん、海外のアーティストにも受けた。
海外のアーティストとは、得意な英語を活かしてコミュニケーションもよく取れて、プロモーターのアシスタントマネージャーとしては上出来だった。
この会社で働き始めてから、そろそろ十年になる。

第3幕

イベントが近くなり、深夜の残業も増えて始めた頃、近くのコンビニで夜食を買いに下のフロアへ行く。
橙花の働くフロアはオフィスの二階にあり、一階の受付や総務のある事務室の前の廊下を通って外へ出る。
いつもは消えているはずの事務室の中の一部屋の電気が漏れているのを見つけた。
深夜に1階の事務室は誰も使う事が無いので、誰かが消し忘れたのだと思い、事務室に入る。灯りの漏れている小会議室の扉の取っ手に手を差し伸べようとすると、中から話し声が聞こえてきた。

「そうだな、大体の女の子はいくら育てても、年頃になると結婚して辞めていくからな」
「だから、なかなか責任ある職には就かせられないよな。どこの会社も同じ悩みはあるようだし」
「月イチのアレが酷い子は、イベント本番と重なるとなると、もう大変だし」
「やっぱり次の人事異動でも、男が優先かな」


扉の中では、どうやら人事考課の最中なのだ。
橙花は、(何をこんな時間に話しているんだ!早く帰れよ!)という思いと、聞いてはいけないことを耳にした罪悪感に苛まれた。
橙花はドアの取っ手に伸ばした手を引っ込めて身を潜めた。

「橙花はどうだ?」
いきなり自分の話題が出たので、心臓が止まりそうになった。
こうなったら、もう出ていけない。
そのまま、息を殺した。

「三十歳を超えてよく頑張ってるよ。気も利くし、英語もできるからアーティストの受けも良い。よく出来たアシスタントマネージャーだ」
「じゃ、次の人事でプロデューサーに昇格か?」
「だめだ。プロデューサーは男でないと、現場が締まらない。対外的にも男が良いだろうね」
「そうだな、じゃ、橙花と同期の高橋か」
「仕事は橙花ほど出来ないけど、役職が人を育てると言うしね」
「高橋の下にアシスタントプロデューサーで橙花をつけよう、高橋をうまくフォローするんじゃないか」
「そうだな、橙花をうまく使おう。高橋を育ててもらおうか、知らず知らずの内に」

第4幕

橙花がアシスタントプロデューサーとして、上司であり同期の高橋とタッグを組んで一年が過ぎようとしていた。

二階のオフィスの扉が勢いよく開き、外から高橋がひどい剣幕で橙花のデスクに近寄って来た。
「な、なんですか」
高橋の剣幕の勢いに戸惑いながら橙花は言葉を絞り出した。
「橙花!ジャスティンに何をした!!」
次のイベントに出演予定の海外のアーティストの名前だ。
何をした?と聞かれても、普通に業務をこなしていただけだ。
午前中に関空の国際線のゲートまで迎えに行き、そのまま橙花の運転する車で、ジャスティンとそのマネージャーの二人を滞在先のホテルに移動しただけだ。
そこに何の落ち度も問題もない。
ただ、ジャスティンのマネージャーは、高橋から聞いていた。細かいところまで気配りのできる男性で、ことジャスティンのこととなると非常に強いプロ意識で対外的に対応するらしい。男性マネージャーに対して、何か地雷を踏んだのだろうか。

高橋は橙花を別室に連れて行き事の経緯を話した。
橙花がジャスティンをホテルに送り届けて、しばらくして高橋がジャスティンと打ち合わせにホテルへ行った。
そこで、ジャスティンのマネージャーは開口一番「ドライバーのあの女を外せ」と言ってきたそうだ。
車で移動中の橙花が色々と笑顔で話しかけてくるのが気に入らなかったようだ。
笑顔で愛想よく話す表情が、ジャスティンを誘惑していると言うのだ。あの女が傍にいると100%のパフォーマンスが発揮できないと。
高橋は続ける。
「お前、相手かまわず愛想を振りまくるだろ。中東系のアーティストには、それは禁物なんだ。こっちにその気がなくても、笑顔で話すと、気があるのかと思われるんだ。」
「そんな、私は普通に……」
「日本人の愛想の良さや、曖昧な態度から、相手はそう感じるんだよ!」
「そんなつもりは絶対にありません!」
「つもりはなくとも、そう思われたんだ!とにかくお前は、誰にでもヘラヘラし過ぎなんだ」
「ヘラヘラって」
橙花は、怒りがこみ上げてきた。
「今回のインベントには、たった今から外れてもらう、ジャスティンには別のアテンドを付ける」
「今まで三カ月かけて準備して来たのは私です!」
「お前一人で会社が回っていると思うな!自惚れるな!」

橙花は今までの自分の仕事が全て否定された思いになった。
そのまま、デスクで退職届を書き、部長の机に叩きつけた。
(世の中は、女ってだけでどうしてこんなに理不尽なのよ!)
と、叫びたくなった。

第5幕

その夜、橙花は行きつけのバーで独り飲んでいた。
一年前に聞いた人事考課の件といい、今回の件といい、女性に対する侮辱と差別がこの社会に蔓延っていると、つくづく思う。

女だから出世させない・・・・
女だから責任ある立場になれない・・・・
女だから色目を使う・・・・
女だからすぐに現場を外せる・・・・

口惜しさとやるせない気持ちが、複雑に絡んで怒りになる。
怒りがこみ上げてくると涙も出ない。
他の会社でも、女は皆なそうなのだろうか。
ふと、大学で同じゼミだった友人のことを思い出した。彼女は確か、商社のキャリアウーマンでバリバリ仕事をしているはずだ。
確かめたくなってスマホを取り出し、相手が電話に出るのを待つ。
いくつかのコールの後
「橙花どうしたの?こんな時間に」
橙花は勢いよく話す
「いきなりだけど、今の会社を辞めることにしたわ!」
「急にどうしたの?」朱美の驚いた声がスマホから響く。

第6幕

橙花はイベント会社を辞めて、一向に次の仕事が見つからない。
時々アルバイトをして、生計を支えていたが、数ヶ月前に今の配送の仕事が見つかった。
運転が好きなので、配送の仕事は自分に合っているはずなのに、何か物足りなさを感じていた。
運転は好きだけど、結局は決まったルートを、時間に追われて走っているだけで、休憩時間もしっかり取れない。
やっと就けた仕事なので、贅沢は言ってられないのは重々承知はしているが。

大川沿いの公園で弁当を食べ終わると、スマホを手に取り、何かお客さんとの会話のネタにならないかと、ニュースを漁る。
するとあのアーティストのジャスティンの記事が出ていた。
思わずスルーしようとするが、記事の中の「カミングアウト」という言葉に引っかかった。
『ジャスティンがカミングアウト!最愛の恋人は男性マネージャー!」
今どき、同性同士の恋愛は珍しくないが、橙花は腑に落ちるものがあった。
あの時、マネージャーが私を外させたのも、私への嫉妬?と考えた。
嫉妬にしても、こっちは普通の態度で接していたが、向こうが勝手に妄想を広げただけじゃないの!
やはり、女性への理不尽な結果は変わらない。
「ああー、バカバカしい」思わず声が出た。

その時、ふいにスマホが鳴る。
ハワイ時代の友人のシンディからのメールだ。
シンディはメンフィス生まれ、大学はハワイの大学。趣味のサーフィンが存分に楽しめる場所で大学に行きたいと、わざわざハワイの大学を選んだ。
二人ともハワイの環境が好きで明るい性格だったので、すぐに打ち解けた。
メールの内容は、今度大阪に行くからアメイジングでエキサイティングな場所を案内して欲しいというものだった。
橙花は、頭の中で次々とプランが浮かび、自分でも自然とにやついていた。
「お任せ!シンディ!」

第7幕

シンディと友人たちを関空に迎えに行き、まずはホテルでチェックイン。全て橙花が手配している。以前の仕事から、海外からのアテンドは得意だった。

第8幕

橙花は職場に無理を言って三日間休ませてもらった。
橙花の運転する大型のレンタカーは、シンディと友人2人を乗せて、大阪、神戸、京都の街を三日間かけて走った。案内はもちろん英語である。
とてもディープな大阪、おしゃれと絶景の街神戸、歴史と伝統に浸る京都を案内し、シンディと友人たちはとても満足そうだった。アメイジングでエキサイティングな3日間は、あっという間に過ぎた。
この後、シンディ達は東京へ足を伸ばすそうだ。
新大阪駅までシンディ達を送り届けると、シンディが言った。
「本当に楽しかったわ。橙花のおススメのセレクションも最高よ」
シンディの友人の一人で英国出身のオリビアが言った。
「橙花は、ロンドンのタクシードライバーよりも優秀よ。とてもいい思い出になったわ」
もう1人の友人も
「橙花は、ファンタスティックでブリリアントなタクシードライバーさんになるわ」

橙花はシンディ達と別れた後、レンタカーを返却する途中。
シンディ達が言った「タクシードライバー」という単語が妙に引っかかった。
(タクシードライバー?私が、ただの運転好きでアテンド好きなだけよ・・・・向いてんじゃんタクシードライバー!)
この閃きに何か吹っ切れたように活き活きと瞳を輝かせた。
(そう言えば、朱美は最近タクシードライバーになったって言ってたな。一度詳しく聞いてみようかな)
先の不安など微塵も感じずに、希望だけが目の前に続いていた。

第9幕

大丸タクシーの会議室で専務の秋山は橙花の履歴書(レジュメ)を見ながら、目の前に座っている橙花に声を掛けた。
「とても素晴らしい経歴をお持ちですね。よろしければ前々職と前職を退職された理由をお聞かせ頂けませんか?」


橙花は面接を終え、橙花を秋山が見送る為に一緒に玄関ドアまでやって来た。
偶然か待ち伏せか、そこに朱美がいた。
「一緒に働ければ、いいね」朱美が声をかける。
橙花に替わって、秋山専務が「当然じゃないですか!」と答えた。

終幕



*背景に使用している画像は生成AIで作成しています