小説
転職物語
第1話
私がタクシー会社を選んだ物語(わけ)
~朱美の場合~
In Akemi's case
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*登場する人物・団体名の一部は架空です
第1幕
大阪梅田のオフィス街の外れ、中心地よりも離れた大川沿いの雑居ビル。
その中に百人規模の小規模商社「天神商社」があった。
赤井朱美は勤務歴十年になる仕事一筋のキャリアウーマン。
役職はないが社歴が長いので新人の教育指導係も兼ねている。
会社では部下に良き先輩と慕われ、上層部への受けも良い。しかし、直属の上司の課長の吉田には疎まれている。
理由は判らないが、朱美は上司に媚を売るのが得意ではないし、日々のタスクをクリアしていく事で精一杯だった。
夕陽が沈み、オフィス街に残業の窓明りが灯りだす頃、朱美はノートパソコンに向けていた目を窓の外へ向け、一休みさせて物思いにふけっていた。
---この会社に勤めて早くも10年が過ぎた。自分では仕事が出来る方だとは思っていないけれど、それなりにこなしているつもりだ。
社歴が長いだけの理由で新人の教育係を任されているのは、納得のいかない事のひとつではあるが、自分のキャリアにとっても良い経験であることは間違いない。
今頃、一緒に入社した同僚達はどうしているかな?
別の会社でキャリアを重ねているのかな?
去年辞めた渚沙(なぎさ)は、そろそろ出産かな?
葵(あおい)の子はもう幼稚園かな?
こんな仕事していたら、新しい恋の出会いってないよなぁ……
物思いにふけりながらでも、キーボードを打つ指は動いている。
部屋の奥から課長の吉田が呼ぶ。
「おーい赤井!この資料詳しく説明してくれ!あ、こっちに来るついでにコーヒーもお願い!砂糖は2杯で!」
キーボードの上の手を止めて朱美は応える。
「少々お待ち下さい。ただいま」
『コーヒーぐらい自分で入れろよ』と思いつつ吉田の指示に従う。
吉田はパソコンの画面を睨みながら、やや嫌味加減で言った。
「仕事できる女は違うね。仕事が早いわ」
吉田はパソコン画面から目を上げず呟いた。
吉田の携帯が鳴る。吉田の上司からの電話だ。その場で起立して、誰もいない空間に向かって何度もお辞儀をしながら話している。
「あ、常務。はい大丈夫です。あの件ですか?もちろん順調です。はい。」
何度もお辞儀をしながら携帯で話す吉田の机にコーヒーを置き、朱美は資料を持って話が終わるのを待っている。
第2幕
夜更けの職場。ノートパソコンを睨みながら物思いにふける。もちろんキーボードを打つ手は止まらない。
昼間は雑用係のようになって自分の仕事が捗らないが、夜は仕事がスイスイと捗る。朱美は夜の職場が好きだった。
(ああ……。どんなに疲れていても仕事しないと、取引先に迷惑がかかるし。本当、うちの会社は、人事の評価がずさんだわ。
なかなか仕事内容が認めてもらえないし、特に女性というだけで、余計な仕事が入って来るし)
朱美の携帯が鳴る。学生時代からの友人の燈花(とうか)からだった。
「橙花?どうしたの?こんな時間に」
電話越しの橙花は勢いよく本題を告げた。
「いきなりだけど、今の会社を辞めることにしたわ」
「急にどうしたの?」
橙花の突然の言葉にたじろぎながら、朱美は答えた。キーボードの手は止まっていた。
橙花はすかさず続けた。
「一年くらい前からたまっていた不満が我慢の限界にきたのよ。女は出世には不利な会社なのよね」
朱美は相槌を打った。
「そうね、女は仕事の実績もなかなか認めてもらえないしね。うちの会社もそうよ」
朱美の相槌のトーンに、橙花は合わせた。
「朱美のとこもそうなの?本当!余計な仕事多くない?お茶出しやら掃除やらコピーやら」
「そうそう、会合や打ち上げでも、『女性なんだからサッサと小皿にとりわけなさい』とか言われるし、あんたの奥さんじゃないっての!」
「バレンタインの義理チョコもねだられたりするしね」
朱美と橙花は会社は違えど、女性従業員としての悩みは同じようなものであった。
橙花の吐き出す言葉につられるようにして、朱美の胸の奥から次々と言葉が出てくる。
橙花はサバサバした物言いで話す。
「会社を辞めて、これでせいせいするわ。明日から新しい自分を探すのよ」
朱美は羨ましそうな目をして
「明日から新しい自分か。って、次決めずに辞めたの!?」
橙花の大胆な行動を心配しながらでも橙花の前向きな言葉が妙に心に引っかかる朱美であった。
第3幕
深夜前の天神商事。朱美が毎度のごとくオフィスで残業している。
明日のプレゼンの資料作りの大詰めの作業なのだ。明日で、この半年の集めた資料とアイデアが発表できる。成功すれば大手広告代理店との取引も可能になるのだ。
カタカタとパソコンに入力し資料作りに没頭する朱美。机には夜食に食べたマクドナルドの紙袋。頭を使う仕事は結構お腹が減るものだ。
この時間帯になると、窓の外にあった残業の明りもかなり数が減ってきている。
ふと腕時計を見る。
あと三十分で終電の時間。ここから駅までのコースタイムを考えても、かなり切羽詰まっている。
朱美の携帯が鳴る。上司の吉田課長だった。
「赤井、どうだ?資料できたか?」
携帯のスピーカーからはガヤガヤと賑やかな音。吉田の声は少し酔った感じに聞こえた。
「課長、呑んでるんですか?明日プレゼンですよ!」
「なんだ?お前も来るか?資料が出来たらだけど。ハハハ!」
「行きません!資料は間に合わせますから!」
朱美の仕事への情熱とやり遂げる強さからの発言に、吉田は少しイラつきを感じた。
吉田はパワハラ発言を顧みず、思ったことがすぐ口から出てくるタイプの男だった。
「頭と体をフル回転させて、最高の資料を作ってくれよな。仕事の出来る赤井だから朝までには出来るだろ!日頃から俺がきちんと指導してやってるんだからな!」
勢いづく吉田のタガが外れた。今までの朱美への嫉妬が爆発した。
「赤井!自分が仕事が出来る人間だと思ったら成長はないぞ!お前は仕事が出来ない奴なんだからもっと努力しろ!社内受けが良いからって自分を見失うな!!」
一方的な檄を飛ばして電話は切れた。
朱美の頭も切れた。
朱美は「吉田の野郎!!」と口では課長の吉田を罵ろうとするが、言葉よりも先に涙が溢れてきた。大粒の涙は、机の資料を濡らしていく。涙が止まらない。声を押し殺しながら、朱美は泣いた。口惜しさに泣いた。
第4幕
大川沿いのビルに朝陽が差し込む。
生駒の山から朝陽が上り大阪平野を照らし始めていく。
陽の光は、冷え切った職場の空気が熱を帯びてきた。
机にへたり込んでいる朱美は空気の温度が上昇するのを感じながら独り言を呟いた。
「間に合った。太陽さんおやすみ・・・・・」
そのまま机に突っ伏し、深い睡眠に落ちる朱美。
第5幕
高層ビルの一室。広告代理店の広い会議室。多くの関係者を前にプレゼンを進める朱美と吉田。
大手企業への大規模開発プロジェクトのプレゼンである。
マウスポインターを使い、パワーポイントで資料説明を進める朱美。二日酔いの頭で朱美を見守る吉田。
第6幕
その日の夕方。北加賀屋の喫茶店。千鳥喫茶。
プレゼンを終えた朱美と吉田が、一息ついてコーヒーを飲んでいる。
「うまくいった感触はあるな。赤井も、手応えを感じたか?」
「そうですね。いい反応でしたね。」
「お前、目が死んでるぞ」
「もう、仕事のし過ぎでボロボロです。能力のない私は努力しないといけませんから」
昨夜の吉田の暴言への嫌味を織り交ぜて返事をするが、吉田は覚えていないのかカラカラと笑いながら
「そうだそうだ。良い心掛けだ。いつも向上心は大事だからな。ハハハハハ!」
朱美は反論する気も失せている。涙も枯れた。やっとの思いでイラっとした表情を作った。
「なんだその顔。雑巾みたいだぞ。いつもだけどな。今日はこのまま帰って、早めに休め!!」
吉田は朱美のイラっとした表情に気が付いた訳ではなく、徹夜明けのくたびれた朱美の表情を見て、思ったままを口にしたのだった。早退させたのも、吉田のほんの少しの部下への愛情なのかもしれない。
なんとかイラっとした表情を続けていた朱美は言葉を絞り出した。
「ありがとうございます。では、帰らせて頂きます」
朱美が席を立ってから吉田は携帯電話を取り出した。
吉田は誰もいない空中に向かってお辞儀をしながら、丁寧な口調で話し出した。
「お疲れ様です。常務。はい、プレゼンは上手くいきました。大成功です。昨夜は私自ら徹夜して最終のチェックをしておりましたから完璧ですよ。ええ、もちろん、全て私のプラン通りです。赤井ですか?彼女は資料集めとコピーだけですよ。全て私が進めてきましたから……」
意気揚々と話をする吉田に、全く後ろめたさはなかった。自分の出世の為に部下の努力を平気で踏み台に出来る男なのだ。
第7幕
数日後の夜。北加賀屋の千鳥バーで朱美は、学生時代からの友人の橙花(とうか)と会っていた。
同じ学校を出て社会人になってからも年に数回は会って不満を発散させていた二人だったが、今日の朱美は一味違った。
プレゼンの成果が全て吉田の手柄になっていたのだ。
「聞いてよ橙花!もう最悪!半年かけた広告代理店へのプレゼンの成果を全て課長のお手柄ってことになってるのよ」
橙花はうなづきながら
「そう言えば、資料作り大変だったのよね。なんでも出来る女は、仕事の量もやっかみ受けるのも半端じゃないのね」
「何言ってるのよ、どうせ私は使い捨てのコマなのよ。この会社では!」
朱美は微かに涙を流しながら、それでいて半笑いになる。笑うしか救いようのない自分を慰めている。
朱美は続けた
「プレゼンは成功したわ、大手の広告代理店との取引も開始出来たの。会社としては大成功よ。その一週間後に、あの吉田が部長に出世したのよ。プレゼンの成功を認められてね。私には「お疲れさん」の一言だけ。全部、手柄は吉田が持っていたのよ。女ってどうして、評価されないの?」
カウンターからママが囁く
ママ「男性中心の社会では女は恵まれないのよね」
頷きながらグラスを煽る朱美と橙花であった。
第8幕
千鳥バーを出た朱美と橙花。橙花は駅の方へ歩いて行く。
「私はこっちだから。またね。元気出してね朱美」
「ありがとう橙花。じゃ、また。仕事決まったら教えてね」
橙花を見送ってから朱美は店の前で、タクシーアプリを操作した。
朱美はタクシーを待つ間に、橙花の次の仕事の心配をしている。『次は自分らしく働けたらいいね。橙花』
第9幕
大阪の繁華街から離れた住之江区の街を黒いタクシーが走る。
朱色の「正円」の中に「大」の文字が描かれたロゴマークのタクシーが交差点を曲がる。
朱美の元に大丸タクシーが到着した。
タクシーに乗り込む朱美。ジャパンタクシー型の広々とした車内だ。
朱美が行先を告げると、いつものタクシーにはない違和感を覚えた。
「あれ?運転手さん、女性の方なんですか?」
女性ドライバーは、お客からよく言われる質問に、繰り返し答えてきた要領で応える。
「はい。タクシーの業界に転職して、もう十年になります」
朱美は転職という言葉に引っかかった。
「転職?運転手さん。どうして前の仕事を辞めたんですか?」
女性ドライバーはよくある質問その2に対して、いつものように応えた。
「前の会社は、女は全然評価されない会社だったんですよ」
「私の会社と一緒だ。で、どうしてタクシー運転手に?」
女性ドライバーは少し苦笑して
「女性でも評価される職業を探しているうちに、この会社と出会ったんです。タクシー業界は女性の働きやすさで言えば素晴らしい所ですよ。本当に男女の差がないですから」
頭を打たれたような衝撃を朱美は覚えた。『そんな業界があるのか!』
朱美は衝撃を抑えられない表情で改めて伺う。
「え?男女の差がない職業?」
女性ドライバーは優しく応える。
「やる気さえあれば、その辺の男性サラリーマンよりも給料は多いかも……。自分らしく働けて女性でも評価される職業なんですよ」
饒舌になった女性ドライバーは続ける。
「しかも自分のペースで働けるのがポイント高いです。育児しながらでも働けるんですよ。ありがたい会社です」
第10幕
朱美の自宅の前から大丸タクシーが走り去る。
帰宅後の朱美の部屋。
朱美の頭に女性ドライバーの言葉がリフレインしていた。
『男女の差がない』
『自分らしく働けて女性でも評価される』
朱美はノートパソコンを開いて大丸タクシーの乗務員募集のページを見ていた。
『意外と近くにこんな会社があるんだ……』
パソコンの横には、プリントアウトした履歴書がある。
朱美の頭に二つの言葉がリフレインしている。
女性ドライバーが車内で教えてくれた衝撃的な言葉。
『男女の差がない』
『自分らしく働けて女性でも評価される』
朱美の心に深く刺さった言葉であった。
第11幕
天気の良い午後。大阪のキタ界隈。
交差点でタクシーを探す男性。
とあるタクシーを止める。タクシーに乗り込む男性客。
男性客が乗り込んだのは、朱色の「正円」に「大」の文字が描かれたロゴマークがある「大丸タクシー」だった。
「運転手さん、新大阪駅まで。降りる時、領収書お願いね。あれ?運転手さんって女性?珍しいね」
大丸タクシーの乗務員は、転職した朱美だった。
朱美は振り返り
「ご乗車、ありがとうございます。お客さん、女性のタクシードライバーも珍しくないんですよ。女性にとっても、職業選択の一つなんですよ」
「へぇ。そうなんだ。前職は何をしていたんですか?」
「商社で働いていました」
「商社に比べたらタクシードライバーって大変じゃないですか?」
男性客の質問に笑顔で答える朱美。
「まったく、そんなことはありません。前の職場よりも、私らしくのびのびと働けています」
そう応えた朱美の瞳は輝いていた。
終幕
*背景に使用している画像は生成AIで作成しています